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震災から1週間

3月18日

あの大震災の日から1週間
続々と支援の手が広がっている一方、
未だ物資さえも届いていない避難場所があるなど
辛い情報も多いですが、どうか早く支援が行き渡りますように。
不眠、不休で救援、復旧に努めている多くの方々にも感謝の気持ちで一杯です。

原発の様子も一層深刻ですが
消防、自衛隊、東電社員、諸外国の応援の方々
ハイパーレスキューの方々の献身的な活動が実を結び
早く安心できる状態になってもらいたいと切に願っています。

余震も続いているようで、皆様心労で体調を崩されているのではと心配です。

今回の災害とは比較にならないかもしれませんが
11年前の三宅島噴火災害時と今回の事にも共通する事があるとしたら

被災された皆様が早く普通に近い生活が送れるように
安全な地域の空いている公営住宅などの避難住宅に入れたらと思っていました。
(体育館などでの避難生活、この寒い時期には本とに限界だと思います)

今、多くの自治体から、空いている公営住宅へ家賃無料で入居できるような
支援が始まっているようです。

家族揃って、地域毎など、つながりのある方たちで、
なるべく一緒の場所で住む事が出来たら、助け合いも自然に出来て良いのではないかと思います。
*ただし、住宅だと壁で隔てられてしまうので
毎日のように顔を合わせる場所を作ったり声を掛け合うことも大切だと思います。

関西の自治体連合でも体制がつくられているようで
各県ごとにまとまって避難も受け入れの準備を始めているとの事。

相当長い避難生活になるかもしれませんが
知り合い同士協力できる体制で、避難生活を乗り切れられたらと思います。
今回は未だ寒い時期ですので、特に急いで頂きたいと思います。

伊豆諸島でも大島など被災された皆様への受け入れ体制が整った島もあるようです。
三宅島からの避難者を受け入れて下さった八丈島でも近々議会で取り上げられるようです。

農業、漁業、自営業・・・の方も多いと思います
時間がかかるでしょうが、以前と同じように仕事が出来るよう
特に手厚い政策・支援がなされる事を願っています。

(18日に書いた日記ですが、中々まとまらず今日23日になってしまいました)





11年前の三宅島噴火災害で全島避難になった時
家も一時東京(多くの方が避難していた団地)へ避難しましたが
その時は心身を休めるのに必要だったと思っています。
ボランティアの方や地域の皆様、古くからのお客様
友人・知人にも物心両面で援助して頂きました。
*東京都から生活に必要な品々も支援していただきました。
(何品目か忘れましたがテーブル、冷蔵庫、洗濯機、炊飯器、布団 etc.)

都内では主人も私も直ぐにアルバイトで働き始めましたが
半年後、噴火活動がおさまらず長期の避難生活が予想されるようになり
早く以前の仕事が再開出来るように最初に主人が八丈島に移り、
私も東京から八丈島に通う生活が4年位続きました。
(子供達は専門学校生や高校生だったので都内での避難生活が続きました。)

多くの方はは東京での避難生活になりましたが
八丈島や他の伊豆諸島に避難された方たちも居ました。
お年寄りの方,、同じ地区も多く、皆さんで畑を作ったり、シルバー人材センターで働いたり
皆さん器用で住宅の修繕もされていました。
4年以上と長い避難生活になりましたが、島なので環境も似ていてストレスは少なかったようです。
*それぞれの方の事情で人口4000人足らずの三宅島でもの避難先は全国各地になりました。

仮設住宅での生活は短期間でしたら大丈夫と思いますが
長期の避難が予想される場合はやはり公営住宅などでの
避難が良いと思います。

全島避難までの約2ヶ月間、噴火し続け毎日の灰卸も厳しいものでした。
余震も一日中続く中での一夏の島での生活
全島避難で正直少し島を離れられるのがホッとしたのも事実です。

都内での受け入れ先(都営住宅)での避難生活が直ぐに始まりました。
最初主人と二人の生活では2DK位の広さで大丈夫でしたが
その後、寮生活などで離れていた子供達も一緒になり
かなり狭くなってしまいました。
最初は少人数でも最終的に家族全部が避難生活を送ることも
予想した方が良いと思います。

まとまりの無い文になりましたが
三宅島の場合は噴火による人的被害はなく災害の規模が全く違うとは思いますが
体験した事を思い出して書かせて頂きました。

今回の大災害で被災された皆様が一日も早く普通の生活が出来る事を願っています。
by shimanohikari | 2011-03-23 16:20 | 今思うこと
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